2010年の回顧と2011年の展望





 

 各 位



 2010年は、当シンクタンク、そして、世界遺産総合研究所にとって、例年になく、静かな一年でしたが、記念すべき節目の年でもありました。

 一つは、1990年に出版活動を始めてから20年、念願の150タイトルを達成、「シンクタンクせとうち総合研究機構 出版活動20年の歩み展」で、これまでの出版の記録を多角的に整理してみました。紙媒体での出版は、企画、取材、整理、編集、印刷、製本、流通と読者に届くまでに、多くの手間と多くの人のご協力がなければ、成り立ちません。これまでに、ご協力頂いた皆様に、改めて、感謝の意を表したいと思います。

  ●「世界遺産フォトス 第3集 海外と日本の至宝 100の記憶」  
    ISBN978-4-86200-148-1 (2010年1月)
   全国学校図書館協議会選定図書

  ●「世界遺産ガイド−文化遺産編−2010改訂版−」  ISBN978-4-86200-144-3 (2010年2月)
   日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書

  ●「世界遺産ガイド−複合遺産編−2010改訂版−」 ISBN978-4-86200-146-7 (2010年3月)
   日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書

  ●「世界遺産ガイド−文化的景観編−」 ISBN978-4-86200-150-4 (2010年4月)
   日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書

  ●「世界遺産ガイド−東南アジア編−」 ISBN978-4-86200-149-8 (2010年5月)
   日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書

  ●「世界遺産ガイド−複数国にまたがる世界遺産編−」 ISBN978-4-86200-151-1 (2010年6月)
   日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書

  ●「世界遺産ガイド−知られざるエジプト編−」 ISBN978-4-86200-152-8 (2010年7月)
   日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書

  ●「世界遺産事典−911全物件プロフィール−2011改訂版」 ISBN978-4-86200-155-9(2010年8月)
   日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書

  ●「世界遺産データ・ブック−2011年版-」 ISBN978-4-86200-154-2 (2010年9月)
   日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書

  ●「世界遺産マップス-地図で見るユネスコの世界遺産-2011改訂版」 
    ISBN978-4-86200-156-6 (2010年10月)

  ●「世界遺産ガイド-世界遺産登録をめざす富士山編」 ISBN978-4-86200-153-5 (2010年11月)

  ●「世界無形文化遺産データ・ブック 2011年版」 ISBN978-4-86200-157-3  (2010年12月)

 しかしながら、デジタル化の進行で、出版流通にも大きな変化が起こりつつあります。本が売れない時代になりました。パソコン、携帯電話、インターネットの普及で、ニュースなど様々な情報を新聞や書籍を読まなくても見ることが出来る様になったからです。当シンクタンクの場合には、これまで、テキスト、図表、写真等のデータを電子媒体で保存してきたことが功を奏し、パートナーの変化、それに、コンテンツのアウトプットに新たな対応が求められています。

 二つは、これまでに訪問した世界の50か国で撮ってきた世界遺産の写真を整理し、「世界遺産フォトス 第3集 海外と日本の至宝 100の記憶」を1月に出版致しました。この写真と解説を基に、「世界遺産写真展−海外と日本の至宝 100の記憶−」を、今年から、全国の各地で、開催することにし主催してくださる団体等を公募しています。

 世界遺産は、自然遺産、文化遺産、複合遺産、そして、危機遺産と多様です。特に、危機遺産など、なかなか行けない国の貴重な写真については、関係者のご協力が、全体のストーリー、構成、バランスを図る上で、大変、役立ちました。改めて、感謝致します。

 第一弾は、岩手県の一戸町で実施致しました。2009年2月の岩手県一戸町教育委員会主催の「世界遺産暫定リスト登載記念講演会」での講演を機に、2009年4月から1年間、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の構成資産の一つである御所野遺跡にある御所野縄文博物館の客員研究員にしていただきました。

 こうしたご縁で、2009年12年から2010年9月まで、一戸町のコミュニティ・センター、小学校、中学校、高校などを会場に巡回し一定の評価を得ましたので、その輪を全国的に広げていきたいと考えています。

 三つは、1997年5月15日にホームページを開設以来、地味ながらも、継続・更新してまいりました。私共のホームページに国内外からアクセスしてくださった数が、年初に1,000,000に達しました。これに伴ってか、私共のホームページに広告を掲載してくださるプロバーダーが増えました。公序良俗に反する広告は、困るのですが、教育、観光・旅行、イベント、まちづくりの関係の広告については、受け入れたいと考えています。「世界遺産と総合学習の杜」、「世界遺産情報館」、「誇れる郷土館」に掲載されている広告バナーをクリックして見て下さい。
 
 四つは、2003年のユネスコ本部(パリ)での第27回世界遺産委員会、2004年の中国・蘇州市での第28回世界遺産委員会、2005年の南アフリカ・ダーバン市での第29回世界遺産委員会、2006年のリトアニアのヴィリニュス市での第30回世界遺産委員会、2007年のニュージーランドのクライストチャーチでの第31回世界遺産委員会、カナダのケベック・シティでの第32回世界遺産委員会、スペインのセビリアでの第33回世界遺産委員会に続いて、ブラジリアの首都ブラジリアでの第34回世界遺産委員会にオブザーバーとして出席できたことです。

 五つは、海外の世界遺産の視察です。今年は、3回、海外に出ました。

 3月には、エジプトに行きました。3度目のエジプトです。7月に「世界遺産ガイド−知られざるエジプト編−」を出版しましたが、その取材の為です。主に、ルクソールとカイロに滞在しました。古代テーベとネクロポリス、メンフィスとそのネクロポリス/ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯、カイロの歴史地区、それに、エジプト考古学博物館をまわりました。

 エジプトについては、総合商社に勤務していた時代に、海外業務で、1975年から3年間、アラブ地域を担当したこともあって、当時のことをいつも思い出します。

 7月には、ブラジルに行きました。前述した第34回世界遺産委員会ブラジリア会議に出席する為でした。ブラジリア、ゴイヤスの歴史地区をまわりました。

 ブラジリアは、大学の「世界遺産基礎演習」の授業の中で、世界遺産の事例研究の題材の一つとして、「ブラジリア」を取り上げ、議論してきたこともあり、大変、親しみのある都市でした。日本からブラジリア、地球の反対側に行くわけですから、同じ目的地に行くにも、アメリカ、ヨーロッパ、アラブ経由など様々なルートの選択肢があるのも不思議です。

 ブラジリアから約320km離れた世界遺産地のゴイアス・ベーリョは、ブラジリアとは対照的なコロニアル様式の歴史的な町並みと景観が印象的でした。

 高速バスで、片道約5時間半を要するのですが、途上のセラードの植生景観は、日本には見られないもので、また、ブラジルの多くの地で、土の色が赤いのも、自然条件が大きく異なることをあらわしています。

 ブラジルの人は、大変、親切で、特に、日系3世の人に何人もお会いする機会に恵まれました。「ハルとナツ」とのドラマではありませんが、祖国日本への思いは熱く、いつしか、自分のお祖父さんやお祖母さんの国に行ってみたい、住んでみたいという強い気持ちが伝わってきました。

 10月には、インドネシアに行きました。ジョグジャカルタ、ソロを中心にまわりました。ボロブドール寺院遺跡群、プランバナン寺院遺跡群、サンギラン初期人類遺跡をまわりました。5月に「世界遺産ガイド−東南アジア編−」を発刊しましたが、その中で取り上げたインドネシアの世界遺産について、自分の目で実際に確かめたいことが幾つかあったからです。

 25日にムラピ火山(2968メートル)が噴火し多くの犠牲が出たとのニュースに接し、大変驚きました。私たちが行った初旬には、空から、活火山であることは視認できましたが、地上からは霞んで見えませんでした。ボロブドール寺院遺跡群、プランバナン寺院遺跡群共に観光客が非常に多いのにも驚きました。

 空からのインドネシアは、大きく、太平洋戦争の時のことに思いを馳せました。また、ソロでは川の流れに「ブンガワンソロ」の歌のことを思い出しました。

 11月には、ケニアとタンザニアに行く予定でしたが、私事で、実現できませんでした。なかなか行けないところだけに残念でした。

 以上が、2010年の当シンクタンク、そして、世界遺産総合研究所の主なトピックスです。

 私事ですが、昨年は、横須賀の佐藤敦子先生が突然にお亡くなりになったのに驚きましたが、今年は、最愛の母が87歳で、他界しました。身近な人間の死に接し、人間の生命の儚さに改めて気づきました。

 せめて、この4年間、母と同居し、国内の各地を旅行できたこと、なかでも、5月に富士山を見に静岡県と山梨県に行きました。今では、良い思い出になりました。この夏の猛暑が影響したのでしょうか、最後まで元気で意識もあったのに、入院後21日目になくなってしまいました。

 富士山の世界遺産登録には、これまで、間接的に関わってきました。5月の母との思い出も伏線となって、「世界遺産ガイド−世界遺産登録をめざす富士山編−」を上梓することが出来ました。今後、世界遺産登録を進めていく上で重要な留意事項等も指摘させていただきました。

 さて、2011年は、兎年、果たしてどんな年になるのでしょうか。2011年も時間の許す限り、時流を読みつつ、世の中に役立つシンクタンクの舵取りを世界遺産総合研究所、それに、社会情報総合研究所21世紀総合研究所を中心に展開していきたいと考えています。長期的には30年、中期的には10年を視野におき、これまでに蓄積してきた知識と経験の集大成と利活用、応用と発展が課題です。

 世界の各地を歩いてみて思うことは、ここ10年、日本の国力や国際競争力が急速に低下している様に感じます。政治の責任かもしれませんが、あらゆる分野において、相当に、気を引き締めていかないと、2010年代は、見通しの甘さ、放漫、行き詰まり、債務超過、破綻、中止・廃止・閉鎖、混乱、敗戦処理など負のスパイラル現象が露呈、表面化し、地方自治体、企業、大学など、破綻する組織体が相次ぐのではないかと、大変、危惧しています。

 国とは何なのか、領土問題、国防のあるべき姿、国家財政の健全化、国際援助の見直し、政権を担う当事者は、もっと真摯に真剣に取り組まないと、取り返しのつかないことになるのではないかと大変憂慮しています。

 ユネスコの「世界遺産」については、その人気も、既にピーク・アウトし、今まさに、ソフト・ランディングに向けて、収束、収斂しつつある様にも思われますが、2012年は、世界遺産条約採択40周年を迎えます。

 世界遺産条約の目的は、かけがえのない世界遺産を、あらゆる脅威や危険から守っていくこと、また、その為の国際的な援助の体制をつくっていくことも大切なのですが、文化財の保存や修復など理工学的なアプローチに傾斜し過ぎている様に思います。

 自然遺産や文化遺産への脅威や危険、これらへの対策については、科学的な知見も重要なのですが、人為的な脅威や危険については、政治や経済など社会科学的な見地からのアプローチが最も重要です。パラダイムを転換していかなければなりません。

 2011年の第35回世界遺産委員会バーレン会議では、日本の「平泉」の再チャレンジ、それに、「小笠原諸島」の世界遺産リストへの登録の可否が審議されます。両物件共に、世界遺産リストに登録されることを願っています。

 私事では、長男に第二子誕生、次男が結婚、母の一周忌、そして、実家は、昭和初期の家屋なのですが、老朽化が進行しており、修復ならぬ修繕・修理、それに、家系図の整理などに、じっくり取り組みたいと考えており、一日一日を大切にしていきたいと思います。

 なにはともあれ、健康が第一、無理をせず、自然体で事に臨んでいきたいと考えています。引き続きご支援をお願い致します。

                                        2010年12月吉日


                                          古田 陽久



 



















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