2006年日豪交流年(YOE)事業

「世界遺産ガイド−オーストラリア編−」の出版・講演






クレードル・マウンティン(タスマニア)





 2006年日豪交流年(YOE)は、1976年(昭和51年)6月にオーストラリアと日本(当時は三木武夫首相)との間で締結された日豪友好協力基本条約の締結30周年を記念するものです。日豪友好協力基本条約は、オーストラリアと日本の両国が国益を共有する政治、経済、貿易、通商、社会、文化、その他様々な分野における二国間関係の強化と多様化を目的としています。

 2006年日豪交流年(YOE)の開催は、2003年7月にオーストラリアのジョン・ハワード首相が来日した際に日本の小泉純一郎首相との間で合意され決定したものです。その目的は、日豪友好協力基本条約の精神の下、二国間交流や政治、ビジネス、芸術文化、教育、科学技術、スポーツや観光などの分野でイベントやコラボレーション事業を開催し、日豪両国間の友好関係、相互理解、協力をさらに深めていくことです。日豪交流年イベントは2006年度を通して日本とオーストラリア両国で開催されます。

 当シンクタンクとオーストラリアとの関係は、ユネスコの世界遺産を通じての関係者とのコミュニケーションや関係観光局等から世界遺産に関する資料や写真等のご提供を頂いてきたことです。

 2001年6月には、世界遺産の「グレートバリアリーフ」、「クィーズランドの湿潤熱帯地域」、そして、「グレーター・ブルー・マウンテンズ地域」を回り、「グレートバリアリーフ」では、ケアンズのクイーズランド州野生生物・公園管理局の北部方面沿岸域・海洋環境管理事務所など世界遺産地の管理者等から世界遺産保護に関する苦労話、問題点、課題を聞いたり、意見交換をしたのが現地との交流の始まりです。

 私事になりますが、その2か月後の2002年8月に、当時高校生だった長女が夏休みに大阪ユネスコ協会主催の「青少年国際理解教育プログラム」に参加し、シドニー郊外のカムデンへブンでの英語研修とホーム・ステイで、現地のご家族に、大変、お世話になりました。

 オーストラリア関係の出版では、これまでに1999年3月に「世界遺産ガイド−アジア・太平洋編−」、2003年5月に「世界遺産ガイド−オセアニア編−」を刊行しています。

 この様な経緯から、2005年1月に関西日豪協会からオーストラリア・デイ記念講演会の講師に招かれ、「オーストラリアの世界遺産と関西との交流」をテーマに講演し、以降、関西日豪協会の特別会員(終身)にして頂きました。

 オーストラリアの自然遺産(含む複合遺産)の数は、世界一で、その自然景観、地形・地質、生態系、生物多様性は、スケールが大きく、大変、個性的です。それに、「カカドゥ国立公園」、「ウルル・カタ・ジュタ国立公園」、「パヌルル国立公園」などの国立公園や「グレート・バリア・リーフ」や「シャーク湾」などの沿岸域や海洋、「ロードハウ諸島」、「マクドナルド諸島」、「フレーザー島」、「ハード島」、「マックォーリー島」などの諸島や島などの保護管理システムは、世界の先進事例として、また、生きた教科書として多くのことを学ぶ機会を私たちに与えてくれました。

 これまでのご恩に報いる為にも、何かオーストラリアの為に役立てることがないかと考えたことが、この2006年日豪交流年(YOE)への参画であり、「世界遺産ガイド−オーストラリア編−」の出版と講演、そしてこれらを通じた、地域間交流や国際交流です。

 また、インターネットやメールを通じて知り合いました、クイーズランド大学人文学部言語・比較文化研究学科専任レクチャラーの加藤久美先生やオーストラリアに4年間、留学されていた信太小百合さんとのコラボレーションが日豪合作を可能にしました。

 今回、「世界遺産ガイド−オーストラリア編−」の出版にあたり監修者に加わると同時にコラム記事「タスマニア原生地域:自然遺産の文化的意義」を寄稿して下さった加藤先生(ブリスベン在住)は、約20年間、オーストラリアに滞在されており、クイーズランド大学で、「環境と文化」、「アジアと環境:異文化間理解の観点から」、「異文化間コミュニケーション」、「外国語教授法」、「現代日本社会事情」、「アニメーションで学ぶ日本語」、「日本語読み書き」などの講座を担当されています。また、タスマニアの北東部にあるブルーティアー森林地域で、自然を守ることの大切さを学ぶ環境教育、土地に根ざした現地コミュニティとの文化の創作、文化交流のための「こだま<木魂>の森」をつくる活動を実践されています。

 同じく、「世界遺産ガイド−オーストラリア編−」にコラム記事「オーストラリアの世界遺産体験記」を寄稿して下さった信太小百合(しださゆり)さんは、北海道苫小牧東高校を卒業後、単身、ニュージーランドに渡り約数年間現地の大学で英語などの言語を学んだ後、オーストラリアに移動、今年、モナッシュ大学を卒業されました。ニュージーランドとオーストラリアでの通算6年間、働きながらの勉強は大変だったと思いますが、そのバイタリティには頭が下がります。2003年5月に「世界遺産ガイド−オセアニア編−」を刊行した際にも、南オーストラリア州の「ナラコーテの化石遺跡」の写真がなくて困っていたところ、現地の写真を送ってくれたのを今も覚えています。現在、郷土の北海道苫小牧市に帰郷、将来的には、世界遺産に関わる仕事に就きたいらしく、只今、求職中です。

 話は戻りますが、2006年日豪交流年(YOE)事業の期間が終了する12月まで、全国の生涯学習センターや学校等での「世界遺産講座」、「国際理解講座」、「異文化理解講座」などの機会にオーストラリアの世界遺産の素晴らしさや魅力、日本の世界遺産との違い、世界遺産を守ることの大切さなどを啓蒙・普及していきたいと考えています。

 また、各分野の関係機関から「世界遺産講座」出講の要請がありました場合には、出来うる限り要請に応えていきたいと考えていますので、お気軽にご相談下さい

 これをご縁に、加藤先生や信太さん達とタイアップし、オーストラリア、なかでも、タスマニア、シドニー、メルボルン、ブリスベーン等へのスタディ・ツアーやロング・ステイ、また、オーストラリアの皆様には「日本の世界遺産」の紹介などを企画・監修し、日豪間の草の根の文化交流、「環境と開発の共存」など持続可能な開発の為の教育(ESD)、自然を守ることの大切さを学ぶエコ・ツーリズムや土地に根ざした現地コミュニティとのカルチュラル・ツーリズム、自治体間の姉妹都市交流の進展が図れればと考えています。

 なかでも着目しているのは、かつてはゴンドワナ大陸の一部であったタスマニアです。タスマニアは、オーストラリアの東南部にあるオーストラリア最大の島で、バス海峡によって、オーストラリア大陸から分断されている北海道より一回りくらい小さな島です。1642年にオランダ人の探検家アベル・タスマンによって発見され、当時のオランダの東インド会社総督ヴァン・ディーメンの名前に因んで、「ヴァン・ディーメンス・ラント」と命名されました。1803年にシドニーから流刑囚とその看守など最初の植民が行われ、南東部のポート・アーサーと西海岸のマッカリー・ハーバーが流刑植民地となりました。1826年にニュー・サウス・ウェールズ植民地から分離、オーストラリアの植民地政府としては2番目の古さです。1901年にオーストラリア連邦政府の成立に伴い、現在のタスマニア州になりました。

 タスマニア島の西南部にある1982年に世界遺産に登録(1989年に拡大登録)された複合遺産の「タスマニア原生地域」(Tasmanian Wildness)は、オーストラリア最大の自然保護区の一つで、タスマニアの面積の約20%(138万ha)を占める原生の森林地帯で、ユーカリ、イトスギ、ノソファガス(カエデの一種)などの樹種からなり、タスマニア・デビルやヒューオン・バインなど固有の動植物も生息しています。クレードル・マウンティンをはじめ、氷河の作用によってできたU字谷、フランクリン・ゴードン渓流、セント・クレア湖などの多くの湖、アカシアが茂る沼地、オーストラリア屈指の鍾乳洞地帯など特異な自然景観を誇っています。一方、内陸部の峡谷の洞窟で発見された3万年前の人類遺跡や先住民のタスマニアン・アボリジニ(1876年に絶滅)の岩壁画などの考古学遺跡もこの地域の特徴の一つです。

 日本でタスマニアといえば、映画「タスマニア物語」(1990年)が有名です。オーストラリアのタスマニアを舞台に、母親を無くした少年が、離婚し離れ離れとなっていた父親との交流を取り戻していく姿を描くドラマです。母親の死をきっかけにシドニーに住むエリート商社マンだった父親を尋ねた小学6年生の少年・正一。しかし、そこには環境保護運動に参加する落ちぶれた父の姿があったといったヒューマン・ストーリーです。

 また、タスマニアと日本とは、産業・経済面でも、大変深い繋がりがあります。なかでも、木材チップ(木材を機械的に2〜3cmの大きさに小片化したもので、パルプやパーティクル・ボードなどの原料として使用される)と紙関係です。日本の紙の消費は、アメリカ、中国に続いて世界第3位です。日本が輸入する広葉樹の木材チップは、オーストラリア産が3分の1以上を占め、その大部分はタスマニア産で、年間約550万トン(タスマニアで伐採される森林のうち90%以上)が、日本に輸出され、製紙メーカーの紙の原料として使用されています。

 従って、紙の消費大国である日本にとって、タスマニアの森林資源は大変貴重であり、タスマニアの原生林の保護を基本に、計画的な植林と持続可能な開発が求められており、開発(森林伐採)と保護(産業植林)とのバランスのある森林管理、それに、世界遺産登録地域のバッファー・ゾーンの設定のあり方など、わが国の知床<トドマツなどの原生林>、白神山地<ブナの原生林>、屋久島<ヤクスギの原生林>の世界遺産(自然遺産)の登録範囲内の原生林の保護のあり方、森林環境教育にも大変参考になる事例であると思います。

 また、世界遺産地で、森林関係の仕事を生業にされている方々、そして、コミュニティーとの共生・共存、自然環境と人間とのかかわりなど生きた教材、教科書として、森林教育プログラムを開発し、わたくしたち人類は、何を学び、何をし、何を残していくべきなのかを共に考えてみたいと思います。

 今後の発展構想としては、「世界遺産ガイド−オーストラリア編−」(2006年6月21日 社団法人日本図書館協会選定図書)の内容を更に充実させ、オーストラリアでの英語版の発行、或は、これを資料編として位置づけて、新たに理論編を設け、国内外のオーストラリアの世界遺産に関する論稿を寄稿してもらい、豪日交流基金の出版助成を受けられる様な文献に育てていきたいと考えています。

 一方、オーストラリアにおいては、日本の文化の紹介、普及、ビジット・ジャパン・キャンペーンの一環として、「世界遺産ガイド−日本編−」を英訳、オーストラリアの出版社による出版、それに、オーストラリアの主要都市での日本の世界遺産の写真展の開催も実現していきたい考えています。

 また、メルボルンに本社をもつ世界最大の旅行ガイドブック専門出版社であるロンリー・プラネット社等とのコラボレーション、パートナーシップについても模索してまいりたいと考えております。




                                     2006年5月       世界遺産総合研究所 古田陽久










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