アフガニスタン復興に寄せて









アフガニスタン復興に向けての所見についてのインタービューでの回答の一部をご紹介致します。  




Q アフガニスタンの復興に寄せる思いを聞かせて下さい。

古田
 2001年9月11日のアメリカでの同時多発テロ以来,様々なことを考えさせられました。多くの犠牲者の方々のご冥福をお祈りすると共にアフガニスタンの難民の方々の自立に向けた一刻も早い支援が必要だと思います。

 アフガニスタンの文化遺産についてもバーミヤン遺跡やカブール美術館所蔵の文化財などもかなりの部分が破壊されている様ですが,日本としても文化財の修復,復元などに関わる面においても積極的に協力していくべきだと思います。  

 アフガニスタンも1979年に世界遺産条約を締約しているわけですが,遅きに失した面もありますが,法的,そして,人的にも保護管理体制も整備し,適格なものが残っていれば,逐一,世界登録に登録していくべきだと思います。

 むしろ,「人類の口承及び無形遺産の傑作」の範疇に入るものですが,アフガニスタンの多民族文化,すなわち,民族ゆかりの舞踊,音楽,文学,儀礼,慣習,手工芸,建築及びその他の技芸などの無形遺産を復興の起爆材やエネルギーにして欲しいと思います。  

 一方,これはアメリカの話になりますが,多くの犠牲者を出した世界貿易センタービルは,人類が二度と繰り返してはいけないテロ戦争による「負の遺産」であり,平和記念碑として,ビルの跡地をワールド・モニュメントとして保存してもらいたいと思います。  

 ツイン・ビルの世界貿易センタービルは,1966年に着工,1977年に完成して以来約24年の運命でしたが,広島の平和記念碑(原爆ドーム)にも匹敵する人類にとって忘れることの出来ない,また,二度と繰り返されてはならない顕著な精神的価値を有する「負の遺産」になるだろうと思います。


Gateway To Virtual Afghanistan


The Afghanistan Rescue Effort, Inc. (A.R.E)


(注)Operational Guidelines67
The normal deadlines for the submission and processing of nominations will not apply in the case of properties which, in the opinion of the Bureau, after consultation with the competent international non-governmental organization, would unquestionably meet the criteria for inclusion in the World Heritage List and which have suffered damage from disaster caused by natural events or by human activities. Such nominations will be processed on an emergency basis.



(出所)「世界遺産学入門ーもっと知りたい世界遺産ー」
参 考
「世界遺産ガイドー人類の口承及び無形遺産の傑作編」




ジャムのミナレット  アフガニスタン復興に向けてのシンボルに

 2002年6月24日から6月29日まで,ハンガリーの首都ブダペストのブダペスト会議センターで,ユネスコ(国連教育科学文化機関)の第26回世界遺産委員会(174か国の世界遺産条約締約国から選ばれた21か国で構成)が開催された。

 今回は,ハンガリーの「トカイ・ワイン地方の文化的景観」,ドイツの「ライン川上中流域の渓谷」,インドの「ブッダ・ガヤのマハボディ寺院の建造物群」,アフガニスタンの「ジャムのミナレットと考古学遺跡」など8か国の9物件が,新たにユネスコの「世界遺産リスト」に登録され,ユネスコ世界遺産は,125か国の730物件(自然遺産が144物件,文化遺産が563物件,複合遺産が23物件)になった。

 また,アフガニスタンの「ジャムのミナレットと考古学遺跡」は,アルジェリアの「ティパサ」の考古学遺跡と共に「危機にさらされている世界遺産リスト」にも同時に登録された。

 今回の世界遺産委員会での登録物件の中で,最も注目されるのは,アフガニスタン最初の世界遺産登録物件となった「ジャムのミナレットと考古学遺跡」であろう。

 この遺跡は,アフガニスタンの中西部,首都カブールの西約500km,ヘラート州との国境に近いグール州のシャーラク地方を流れるハリ・ルド川とジャム・ルド川が結節する海抜1900mの狭くて深い渓谷にある。ジャムのミナレットは,ハリ・ルド川の南の土手に天を突く様に高く聳えており,見方によれば,ロケットの様にも見える。

 イラン系のグール朝*(1148年頃〜1215年 *ゴール朝という表記もある)のスルタン(イスラム教国君主)であったアル−ディン・モハメッド・イブン・サム(1163〜1202年)が1194年に築いた世界第2位の高さ(65m)を誇るイスラム建築様式のミナレット(尖塔)で,優美な景観を誇る。

 ジャムのミナレットは,12〜13世紀にこの地方で栄えた斬新な装飾文化の代表例といわれ質も高い。形状は,巨大な細長い塔で,色は,金色にも輝いて見える土色で,青色の帯が印象的。材料は,耐火煉瓦が主体で,タイルが効果的に配されている。

 デザインは,10世紀にブハラで発達した技巧を使用した幾何学模様と花模様をモチーフにし,また,長方形のアラビア語の初期のクフィー体の刻印が施されている。装飾の豊かさは,伝統芸術の最高潮を究め,グール朝陥落までの20〜30年も続いた。

 インドのクトゥブ・ミナール(1993年世界遺産登録)は,世界一高いミナレット(72.5m)として知られているが,ジャムのミナレットがお手本であったと言われている。

 ジャムのミナレットの存在は,何世紀もの間,忘れ去られていたが,1957年8月18日に,アーメド・アリ・コーザド(アフガン歴史学会会長)とアンドレ・マリク(フランス人の考古学者)が率いる探検隊によって発見された。

 ジャムのミナレットが何故にここにあるのか,もともとは,今はなき大モスクと一連のものであったとか,戦勝記念塔とか諸説があるが,真実は謎に包まれている。

 それは,グール朝と中世イスラムの歴史を理解するのに大変重要である。それが,大モスクの一部分であったのか,その証拠はどこにもない。或は,グール朝を建設しデルヒを征服した グールを称賛する「勝利塔」の類いなのか,或は,モンゴルによって破壊された未だ発見されていないグール朝の首都フィルズコだったのか数多くの疑問が残されているが,その謎は,いまだ解明されていない。

 川の北側に立つ3つの見張り塔がある要塞,宮殿,防壁の遺跡に幾つかの答が隠されているかもしれない。ユダヤ人の共同墓地があったことを示すヘブライ(ユダヤ)人の碑文のある石もこの近くで発見されている。

 それらは,1960年代の初期にイタリアの建築家アンドレア・ブルノ(現在,ユネスコのコンサルタント)に発見され,カブール美術館に受け継がれている。

 その場所は,ホテル建設の為の道路をつくる為に1964年に破壊されたバザール(市場)の遺跡も含まれている。 科学的な発掘が,やがて,私たちにジャムの歴史の真実を明らかにすることだろう。そうでなければ,心ない盗掘が何も残さなかったことになる。

 何年間にもわたって放置された遺跡は,不法な発掘と略奪のターゲットにされてきた。専門家は,グール朝ゆかりのたくさんの物品が消滅したという。ミナレットの丹念に積み上げられた耐火煉瓦の断片が,壁面や塀から剥がれている。

 「ジャムのミナレットと考古学遺跡」は,長年の戦争や武力紛争などによる損傷,傾斜,川の北の土手沿いの不法な発掘と心ない盗掘,それに2つの川からの土台を浸食する水の浸透浸水,この考古地域を部分的に通る道路計画などがもちあがっており,緊急な救済措置が必要な為,今回,ユネスコの「危機にさらされている世界遺産リスト」(危機遺産)にも登録された。

 アフガニスタンは,東西文明の十字路といわれるように,過去数千年にわたり,様々な民族の興亡,東西の諸文化の交流と融合の舞台になった。その歴史の証人とも言える文化財は日本の文化の源流としてのみならず,世界の文化史上もその学術的価値が極めて高い。

 アフガニスタンの文化遺産については,タリバンによって破壊されたバーミヤンの巨大石仏などの遺跡,カブール美術館と所蔵の文化財,ヘラートの歴史地区,バーブルの庭園とティムール・シャー・モスク,バルフのアッラシード・モスク,古代ギリシャ都市アイ・ハヌム,バーミヤン近郊のテラコッタ仏像等があるフォンドキスタン遺跡,ガズニやヘラートのミナレット,ジャララバードのハッダ遺跡,また,最近,発掘されたカルワルの古代仏教都市遺跡などがある。

 過去20数年に及ぶ戦火により貴重な文化財が破壊され,また,滅失の危機にさらされているものも少なくない。このような現状を考えると,アフガニスタンの文化財の学術的,歴史的価値を早期に検証し,保存,修復,復元を図っていかなければならない。

 2002年7月16日から,アフガニスタンの先史時代から近代までの多様な文化を紹介する「アフガニスタン−悠久の歴史展」(東京芸術大学・NHK・朝日新聞社・文化財保護振興財団等が主催)が東京芸術大学で開催されたが,貴重な文化財保護の復興支援が急務であると思った 。

 今回の「ジャムのミナレットと考古学遺跡」がユネスコの世界遺産になったことは,かつてのアフガニスタンの誇れる文化の象徴ともいえ,アフガニスタンの人達にとっても励みとなり,その精神的価値は非常に大きいと思う。 

 また,アフガニスタンは,戦禍で数多くの形のある有形遺産を失ったが,多民族国家ゆえの伝統音楽,舞踊,文学,儀礼,慣習,手工芸,技芸など形のない無形遺産も生命と共に失われたが,復興が可能なものもある様に思う。 

 例えば,先般,大阪の国立民族学博物館で,アフガニスタン音楽の研究公演が行われた。「民族の十字路」として知られるアフガニスタンは,もともと豊かな音楽的伝統を持ち,人びとの生活に音楽は欠かせなかった。戦争によって,多くの音楽家が難民として国を離れたが,祖国アフガニスタンの伝統音楽の再生を願う音楽家の復帰に期待したい。

 アフガニスタンは,この様な有形・無形の文化遺産の保存,修復,そして,復活を通じて,荒廃した国土の回復,国家の復興と安定に向けての起爆材やエネルギーにして欲しいと思う。  

 また,今後のアフガニスタンの発展戦略としては,隣国のパキスタンやイランとの関係は勿論のこと,古くは歴史的にも関わりが深いウズベキスタンを中心とする中央アジアの国々との関係を強化していくべきだと思う。

 戦火で疲弊したアフガニスタンに対する人道支援の拠点として機能したマザリシャリフとウズベキスタンの交通の要所であるテルメズとを結ぶ交通路の整備も急がれる。なかでも,アムダリヤ川を挟んで対岸のウズベキスタンとの間に唯一架かるハイラトン橋(別名「友好の橋」)の本格的な再開が望まれる。


                                                (古田 陽久)







ジャムのミナレット
第26回世界遺産委員会ブダペスト会議で,
アフガニスタン最初の世界遺産に登録されました。
また,危機遺産として
緊急の保護と保存措置も求められています。


















世界遺産と総合学習の杜に戻る
シンクタンクせとうち総合研究機構のご案内に戻る
世界遺産総合研究所のご案内に戻る
世界遺産情報館へ戻る
21世紀総合研究所に戻る
出版物のご案内に戻る
出版物ご購入のご案内に戻る