日本の伝統芸能の現状と課題
~ユネスコ無形文化遺産からの観点~







はじめに

一昨年の2023年11月に白強松(はくしょうきょう)先生からのお招きで、民族学与社会学学院と外国語学院で「世界遺産などユネスコ遺産について-有形と無形の遺産の重層的な保護・保全の大切さ-」という共通の演題でお話させていただきました。先回はユネスコの「世界遺産」が主テーマだったのですが、今回は「無形文化遺産」なかでも「伝統芸能」に照準をあて、「日本の伝統芸能の現状と課題~ユネスコ無形文化遺産からの観点~」と題してお話させていただきます。

海外での講演は、ウズベキスタン・タシケントの国立芸術大学、中国重慶市の国立西南師範大学、台湾・雲林県の国立雲林科技大学、韓国・ソウル市の延世大学、そして、一昨年来の、湖北省・恩施市の湖北民族大学、海外の大学では6回目の講演になります。また、行政レベルでは、中国・浙江省の杭州市政府での世界遺産「京杭大運河 (けいこうだいうんが)」の登録記念行事で、それに、台湾の「阿里山森林鉄道 (ありさんしんりんてつどう)」の世界遺産登録をめざす嘉義県から世界遺産顧問として、講師として招かれたことがあります。


ユネスコ無形文化遺産とは


ユネスコ無形文化遺産とは、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関 本部パリ)の「人類の無形文化遺産の代表的なリスト」(略称:「代表リスト」)、「緊急に保護する必要がある無形文化遺産のリスト」(略称:「緊急保護リスト」)、及び、「無形文化遺産保護条約の目的に適った好ましい実践事例」(略称:「グッド・プラクティス」)に登録・選定されている世界的に認められたユネスコの無形文化遺産のことをいいます。

同じくユネスコの有形の「世界遺産」と区別する意味で「世界無形文化遺産」と呼称しています。


無形文化遺産保護条約の成立の背景
  

無形文化遺産の保護に関する条約(通称:無形文化遺産保護条約)(Convention for the Safeguarding of the Intangible Cultural Heritage)は、2003年10月に開催された第32回ユネスコ総会で採択されました。

成立の背景としては、

1990年代から、グローバル化の時代において、多様な文化遺産が、文化の没個性化、武力紛争、
観光、産業化、過疎化、移住、それに環境の悪化によって消滅の危機や脅威にさらされていること。

西欧に偏重しがちな有形遺産のみを対象とする世界遺産のもう一方の軸として、より失われやすく保存を必要とする第三世界の文化を守り活用すること。

冷戦の終結後、文化的アイデンティティーの肯定、創造性の推進、それに、文化の多様性の保存を図っていく上での活力として、無形遺産が果たす重要な役割への認識が高まったこと。
などです。


無形文化遺産保護条約の理念と目的


無形文化遺産を保護すること。
関係のあるコミュニティ、集団及び個人の無形文化遺産を尊重することを確保すること。
無形文化遺産の重要性及び無形文化遺産を相互に評価することを確保することの重要性に関する
意識を地域的、国内的及び国際的に高めること。
国際的な協力及び援助について規定すること。


ユネスコ無形文化遺産の領域


ユネスコ無形文化遺産の領域は、
「芸能」(Performing Arts)だけではなく、

口承による伝統及び表現(無形文化遺産の伝達手段としての言語を含む)
 (Oral Traditions and Expressions, including Language as a vehicle of the Intangible Cultural Heritage)
社会的慣習、儀式及び祭礼行事(Social Practices, Rituals and Festive events)
自然及び万物に関する知識及び慣習(Knowledge and Practices concerning Nature and the Universe)
伝統工芸技術(Traditional Craftsmanship)の5つの領域に分類されています。


「代表リスト」への登録基準


「代表リスト」への登録申請にあたっては、次のR.1〜R.5までの5つの基準を全て満たさなけれ
ばなりません。

R.1 要素は、条約第2条で定義された無形文化遺産を構成すること。
R.2
素の登録は、無形文化遺産の認知と重要性の意識の向上が確保され、世界の文化の多様性
を反映し人類の創造性を示す対話が奨励されること

R.3 要素を保護し促進する保護措置が図られていること。
R.4 要素は、関係するコミュニティー、集団、或は、場合によっては、個人の可能な限り幅広い
参加、そして、彼らの自由な、事前説明を受けた上での同意をもって申請されたものであること。
R.5 要素は、条約第11条と第12条で定義された、締約国の領域内にある無形文化遺産の提出目録 に含まれていること。


「緊急保護リスト」への登録基準


登録申請書類において、提出する締約国、或は、喫緊の場合において、申請者は、「緊急保護リスト」への登録申請の要素が、次のU.1〜U.6までの6つの基準を全て満たさなければなりません。

U.1 要素は、条約第2条で定義された無形文化遺産を構成すること。
U.2 a
要素は、関係するコミュニティー、集団、或は、場合によっては、個人及び締約国の努力にも かかわらず、その存続が危機にさらされている為、緊急の保護の必要があること。
  b 要素は、即時の保護なしでは存続が期待できない終末的な脅威に直面している為、喫緊の保護の必要があること
U.3 要素を保護し促進する保護措置が図られていること。
U.4 要素は、関係するコミュニティー、集団、或は、場合によっては、個人の可能な限り幅広い
参加、そして、彼らの自由な、事前説明を受けた上での同意をもって申請されたものであること。
U.5 要素は、条約第11条と第12条で定義された、締約国の領域内にある無形文化遺産の提出目録 に含まれていること。
U.6 喫緊の場合には、関係締約国は、条約第17条3項に則り、要素の登録について、正式に協議を 受けていること。


「緊急保護リスト」に登録された主な理由


指導者の高齢化と若者の後継者難
若者の都会への流出
有識者の減少
職種転換
演じる機会の減少
生活様式の変化
急速な都市化
不十分な収入


「グッド・プラクティス」の選定基準


「グッド・プラクティス」への選定申請にあたっては、次のP.1~P.9までの9つの基準を全て満たさなければなりません。

P.1 計画、事業及び活動は、条約の第2条3で定義されている様に、保護することを伴うこと。
P.2 計画、事業及び活動は、地域、小地域、或は、国際レベルでの無形文化遺産を保護する為の    取組みの連携を促進するものであること。
P.3 計画、事業及び活動は、条約の原則と目的を反映するものであること。
P.4 計画、事業及び活動は、関係する無形文化遺産の育成に貢献するのに有効であること。
P.5 計画、事業及び活動は、コミュニティ、グループ、或は、適用可能な個人が関係する場合に    は、それらの、自由、事前に同意した参加であること。
P.6
計画、事業及び活動は、保護活動の事例として、小地域的、地域的、或は、国際的なモデル   として機能すること
P.7 申請国は、関係する実行団体とコミュニティ、グループ、或は、もし適用できるならば、     関係する個人は、もし、彼らの計画、事業及び活動が選定されたら、グッド・プラクティス    の普及に進んで協力すること。
P.8 計画、事業及び活動は、それらの実績が評価されていること。
P.9 計画、事業及び活動は、発展途上国の特定のニーズに、主に適用されること。


中国のユネスコ無形文化遺産


中国は2004年にユネスコの無形文化遺産保護条約を締約しました。現在、「代表リスト」に39件、「緊急保護リスト」には4件が登録され「グッド・プラクティス」には1件が選定されています。

「代表リスト」には、湖北省の漢劇が源流の一つである「京劇」、同じく湖北省の影絵劇の雲夢皮影(うんもうひえい)も構成要素の一つである「中国の影絵人形芝居」、貴州省の「トン族の大歌」などの「伝統芸能」、伝統的な切り絵工芸である「中国剪紙」(せんし)、湖北省恩施(おんし)の玉露茶や貴州省都匀(といん)の毛尖茶(もうせんちゃ)などの「中国の伝統製茶技術とその関連習俗」などの「伝統工芸」、「端午節」、「春節」などの「伝統行事」も登録され多様です。

「緊急保護リスト」には、ウイグル族の伝統的な住民の集会の一つ「メシュレプ」、特に中国南部の福建省で発展した「中国帆船の水密隔壁(すいみつかくへき)技術」、従事者が急速に減少している「中国の木版印刷」、中国黒竜江省に住む少数民族、ホジェン族(赫哲族)の伝統的な英雄叙事詩である「ホジェン族のイマカンの物語り」が登録され存続の危機に瀕しており緊急保護が求められています。

「グッド・プラクティス」には、「福建省の操り人形師の次世代育成の為の戦略」が選定されています。

尚、今年2025年6月、大阪・万博の中国パビリオンでは、湖北省ウィークで「荊風楚韵(けいふうそいん)」、貴州省ウィークでは「ミャオ族の伝統舞踊「踩鼓舞」(さいこぶ)」「トン族の合唱「天地人間充满爱」(てんちじんかんじゅうまんあい)」等が披露されました。


日本のユネスコ無形文化遺産


日本は2004年にユネスコの無形文化遺産保護条約を締約しました。現在、「代表リスト」に23件が登録されています。「緊急保護リスト」への登録、「グッド・プラクティス」への選定はありません。

「代表リスト」への登録で代表的なものは中国の演劇や舞踊の要素を取り入れた「能楽」や「歌舞伎」などの「伝統芸能」があります。最も新しいものは「伝統芸能」ではありませんが昨年登録された日本酒や焼酎、泡盛といった日本の「伝統的酒造り」です。(※貴州省仁懐市(じんかいし)の茅台酒(まおたいしゅ)などの白酒(ばいじゅう)や浙江省紹興市の紹興酒などの黄酒(ふぁんじょう)など中国の「伝統的酒造り」も中国の「代表リスト」入りの可能性があります)

また、中国の「書道」は2009年に「代表リスト」入りしていますが、日本の「書道」も来年2026年、「代表リスト」入りが期待されています。

民族学的な観点では、北海道のアイヌ民族の「アイヌ古式舞踊」(あいぬこしきぶよう)、沖縄の琉球民族(琉球王国時代)の「組踊」(くみおどり)の「伝統芸能」がユニークです。今回の講演ではこの二つの「伝統舞踊」をクローズ・アップしてみたいと思います。


①アイヌの古式舞踊


アイヌ古式舞踊は、北海道札幌市、千歳市、旭川市、白老郡白老(しらおい)町、勇払郡むかわ町、沙流郡平取町、沙流郡日高町、新冠郡新冠町、日高郡新ひだか町、浦河郡浦河町、様似郡様似町、帯広市、釧路市、川上郡弟子屈町及び白糠郡白糠町北海道に居住している先住民族であるアイヌ語を母語とするアイヌ民族の人々によって伝承されている歌と踊りで、アイヌ民族の主要な祭りや家庭での行事などで踊られます。

踊りにあわせて歌われる歌と踊りを「リムセ」といい、座って歌われる歌を「ウポポ」といいます。踊りには、祭祀的性格の強い「剣の舞」「弓の舞」のような儀式舞踊、「鶴の舞」「バッタの舞」「狐の舞」のような模擬舞踊、「棒踊り」「盆とり踊り」「馬追い踊り」などの娯楽舞踊、さらには「色男の舞」のような即興性を加味した舞踊などがあります。

アイヌ古式舞踊は、アイヌ民族独自の文化に根ざしている歌と踊りで、芸能と生活が密接不離に結びついているところに特色があります。1984年(昭和59年)1月21日に日本国の「重要無形民俗文化財(民俗芸能:その他)」に指定されています。アイヌ文化の保存会の中には高齢化や継承者不足により存続の危機にあるところも多く、資料や技能も伝承者と共に失われてしまうことが心配されています。

公益社団法人北海道アイヌ協会(札幌市)、公益財団法人アイヌ民族文化財団(札幌市)国立アイヌ民族博物館(白老町)、平取町立二風谷アイヌ文化博物館(平取町)等の関連団体があります。


②組踊

組踊、伝統的な沖縄の歌舞劇(くみおどり、でんとうてきなおきなわのかぶげき)は、日本の南西部、沖縄諸島に伝わるせりふ、音楽、所作、舞踊によって構成される琉球語を母語とする琉球民族(当時)による歌舞劇です。

琉球王国時代、首里(しゅり)王府が中国皇帝の使者である冊封使(さくほうし、さっぽうし 福建省福州からの)を歓待するために、踊奉行(おどりぶぎょう)であった玉城朝薫(たまぐすくちょうくん 1684〜1734年)に創作させ、1719年、尚敬王(琉球王国第二尚氏王統の第13代国王(在位1713年~1751年))の冊封儀礼(さくほうぎれい、さっぽうぎれい)の際に初演されました。「朝薫の五番」(「二童敵討(にどうてぃちうち)」「孝行の巻」など)をはじめ、その後の踊奉行らによって創作された組踊は、現在約70の作品が確認されています。

1972年(昭和47年)5月15日、沖縄が日本へ復帰すると同時に、日本国の「重要無形文化財(芸能)」に指定されました。組踊は、沖縄戦などで幾度か消滅の危機にさらされましたが、その度に困難を克服してきた琉球芸能の精髄です。

保存団体に「伝統組踊保存会」(沖縄県浦添市)があります。組踊は、「国立劇場おきなわ」(沖縄県浦添市、2004年開場)を伝承・公開の重要な拠点としており、現在、劇場の自主公演等を中心に、従来からの「伝統組踊保存会」の公演と併せて、組踊の舞台公演は近年、充実をみせています。

また、劇場は、保存会と連携し伝承者の養成事業を実施して成果をあげています。尚、「琉球王国のグスクと関連遺産群」(首里城跡など9遺産群が構成資産)は2000年に世界遺産リストに登録されています。 


言語も無形文化遺産


アイヌ民族のアイヌ語、琉球民族(当時)の琉球語も都市化の進行、標準語化などによって方言などの言語も存続の危機にさらされています。トゥチャ語、ミャオ語についても同様かもしれません。ユネスコ無形遺産ではジョージアの「三書体のジョージア文字の生活文化 (Living culture of three writing systems of the Georgian alphabet)が、2016年に「代表リスト」に登録されています。


無形文化財、無形民俗文化財の保存と活用


日本の文化財保護法では、歌舞伎、文楽、能楽等の伝統芸能や染織、漆芸等の伝統工芸技術等の無形の文化的所産のうち重要なものを重要無形文化財に指定し、併せてそれを体現する者を保持者として認定することとしていますが、昭和50年の法改正によって、個人的特色が薄く、保持する者が多数いる場合、保持団体として認定することができることとされました。

現在、71件が重要無形文化財(芸能38件、工芸技術33件)に指定されており、このうち、一般に「人間国宝」と呼ばれる保持者としては104人が、保持団体としては31団体が認定されています。重要無形民俗文化財は337件が指定されています。

総じて、

①重要無形文化財、重要無形民俗文化財などへの指定など文化財保護法などによる法的担保措置。
②文化庁による無形文化財の保存・伝承のため、保持者に対し、技の向上と伝承者養成のための特別 助成金を交付、保持団体等が行う伝承者養成事業等に対しての補助。
③伝統芸能等の振興の拠点として、国立劇場等を設置し、伝統芸能等の公開、伝承者の養成調査研究 等の事業や、更にその施設の拡充。
④工芸技術の公開は、作品の展示をはじめ、実技の公開、写真等による制作工程の紹介を、例えば、伝統工芸展などを各地で開催し、伝統工芸の振興を図ることなどが大切です。


おわりに


今回は「日本の伝統芸能の現状と課題~ユネスコ無形文化遺産からの観点~」と題してお話させていただきました。なかでも、北海道の「アイヌ古式舞踊」と沖縄の「組踊」をクローズ・アップしてみました。これを機に、日本の伝統芸能にも関心をもっていただき、相互交流の機会にもなれば。大変嬉しく思います。また、こうした共同研究が、中国と日本のみならず、韓国、北朝鮮、モンゴル、台湾など東アジアへと発展していくことを望みます。

最後に、白強松(はくしょうきょう)先生とは、先回のご縁を機に「ユネスコ遺産ガイド-中国編-総合版」を共同監修し、昨年5月に、日本で出版いたしました。この本は、中国の世界遺産、世界無形文化遺産、世界の記憶を総集したもので類書はありません。日本の国立国会図書館をはじめ、日本の26の大学図書館に所蔵されているほか、教育、観光など各方面で活用されており、改めて感謝申し上げますと共に先生の更なるご活躍とご発展を祈念しております。本日は有難うございました。