ボイスン地域フォーク・フェスティバル(ウズベキスタン)に参加







 この度,中央アジアのウズベキスタンを訪問することになりました。5月23日から28日まで,昨年5月にユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作」の一つに指定された「ボイスン地域の文化空間」(The Cultural Space of the Boysun District)の当地にて,第1回目の野外民俗芸能フェスティバル≪ボイスン・バホリ≫(ボイスン地域フォーク・フェスティバル実行委員会主催 ユネスコ,ウズベキスタン文部省,ウズベキスタン芸術アカデミー等が後援)が開催され,会議に出席する為です。

 ボイスン地域は,ウズベキスタンの南東部,アフガニスタンとの国境に近いボイスン山脈が連なるスルハンダリヤ州(州都テルメズ)にあり面積が3713ku(埼玉県や奈良県くらいの広さ),ボイスンを中心とした山麓の草原に82,000人の人が生活しています。首都タシケントからの移動でも8時間程度(関空からタシケントまでの飛行時間と同じくらい)かかる辺境地域で,往路では,シルクロードなど東西文明の十字路であったサマルカンド,それに,サマルカンドに次ぐティムール帝国の第2の首都であったシャフリサーブスの世界遺産地も経由します。

 この地域の近くでは,ディノザウルスの化石が発掘されているほか,小アジアからインドへの交通路にある世界で最も古い人間居住地の一つで,旧石器時代の集落跡,アンデルタール人の人類遺跡,それに,洞窟壁画などが発掘されているほか,古代バクトリア王国,アレキサンダー大王の東方遠征,シルクロード,ティームールゆかりの遺跡が数多く残されています。

 ボイスンは,ゾロアスター教,仏教,イスラム教などの宗教やシャーマニズムやトーテミズムなど古代の先祖からの影響も色濃く留め,現在でもゾロアスター教の影響を感じさせる民謡,舞踊,音楽などが,伝統的にこの地域の田植えなどの季節的な行事,それに,近所づきあい,結婚,子供の誕生,葬儀,割礼など家族的な行事と結びついています。

 今回のフェスティバルでは,ウズベキスタン国内での予選を経てきた地域民俗芸能祭とコンテストが行われるほか,この地域の民謡,舞踊,音楽などの伝統芸能,伝統的な絨毯,刺繍,陶芸などの手工芸等も披露されるほか,国際会議も開催され,この会議への出席の要請され招待を受けたものです。

 本件は,ユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作」で選定された19件(20か国)について,日本国内には,ボイスン地域に関する資料がほとんどない為,約1年間の歳月をかけて全物件を取材する過程で,関係者とのコミュニケーションのなかで生まれたものです。

 アフリカ諸国など開発途上国の資料の収集にはいつも悩まされますが,ボイスン地域の資料についても公開されているものが少なく,コミュニケーションと情報収集に苦労しただけに感慨深いものがあります。

 これを機会に文化人類学や民俗(族)学の分野も勉強してみようと考えており,また,様々な機会をとらえ,この地域の文化を日本に紹介したいと考えています。

 ボイスンの人々は,農業,牧畜業を生活の糧にし相互扶助のコミュニティ社会を形成しています。風貌,民俗,民族衣装,伝統文様などからイメージすると,日本では,アイヌ民族の人達とラップするところがあります。実際,自分の目と耳で伝統文化にふれ,日本の能楽などとは趣きを異にする人類の文化の多様性について学んでこようと思います。

 日本の日常の文化とは異質,そして,少数の民族,或は,コミュニティの衣食住の生活,そして,音楽,舞踊,遊戯,神話,儀礼,慣習,手工芸などの無形文化遺産を大切にする気持ちは,遺跡,建造物群,モニュメントの有形文化遺産を対象とした,いわゆる「世界遺産」の隙間をも補完する文化遺産の両輪の一つなのかもしれません。

 また,この地域に文字通りの≪ボイスン・バホリ≫(ウズベク語で,ボイスンの春という意味)が訪れ,このフェスティバルが回を重ねるごとに隣国のアフガンの人々とも交流できる国際平和の場になることを願うばかりです。
(HF)


(参考文献)
「世界遺産ガイドー人類の口承及び無形遺産の傑作編」




(本件に関する問合せ)
シンクタンクせとうち総合研究機構 事務局
電話 082−278−2701






 











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